インド・パキスタンツアーの思い出 |
「パキスタン編」
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[2001.3.9]
さて、多くのことを学んだインドを離れ、この日はパキスタンに向かう日。午前中観光に行く者もいるが、まだ病みあがりの身としては少しでも休養しておかねば、と思いプールサイドで出発まで過ごすことにする。午前10時に行くともうベースの金澤氏が来ている。二人で手をつないで(うそうそ)ビールなど飲みつつゆっくりと過ごすうちにマネージャーの田渕氏、PAの上田氏と次々にやってくる。ちなみにこの二人はビキニ派。田渕氏は結構ギャランドゥ入ってる。上田氏(通称うえだっち)はロンゲが自慢(といっても腰まであるのだから半端じゃない)。後ろ姿はまんまいけてるおねえちゃん。金澤氏が思わずナンパしようとしたかどうかは定かではない...
15:00出発と聞いていたので、13:00ごろ金澤氏とイタリアンを食す。いい気持ちになっていたところに田渕氏が水をさす。「飛行機が早く出そうなので出発が一時間繰り上がります」。ええ〜〜〜またインド航空かい!いいかげんやなあ...結構汗もかいていたのにシャワーをする暇もなくパッキングをしてロビーへ。民族大移動を開始し、デリー空港着。結構厳しいチェックを何度も受け、荷物を預けて待合室へ。ウッドベースもこのとき「かんおけ」に入って確かに運ばれていったのだが...
最初の訪問地カラチまでは近いとはいえ一応国際線。インドとパキスタンの関係からかボディーチェックも厳しかったような気がした。両国は元はと言えば同じ国。宗教上の理由からパキスタンがインドから独立していった。ヒンズー教徒が大半を占めるインドと対照的に、パキスタンはイスラム宗旨国。厳しい戒律がありアルコール類の国内持ち込みも厳しく制限されている。これから一週間、酒が飲めないのか...と飲んべえ集団は非常におびえていた。だが、そんなことよりも衝撃的な事実が着陸した我々を待っていた!ででんでんでん!!
二時間あまりでカラチに到着した我々は入国審査を簡単にパスし、ターンテーブルで荷物が出てくるのを待っていた。ほぼ全ての荷物が出てきたころ、金澤氏が吠える。「ベースが出てこねえ!!」。ええええ????待てど暮らせどベースは出てこない。海外旅行の経験豊富な方なら一度や二度はこういう経験があるかもしれないが、ことが楽器だけに全員青くなる。なぜあんな大きなものが無くなるのだ??誰も盗むとは思えないのだが...一時間くらい空港にいただろうか。領事館の人たちも手を尽くしてくれるがらちがあかない。全員がいてもしょうがないのでとりあえずマネージャーを残してホテルに向かうことに。金澤氏は開き直って笑っているが、その笑顔が引きつっていたのを私は見逃さなかった(家政婦は見た!!by 市原悦子)。
とりあえず部屋に入る。ホテルはシェラトン、一流ホテルだ。入って最初に目に入ったのが「あるこーるびばれっぢのごあんない」。???あるこーるびばれっぢってお酒のこととちゃうの???ここ、お酒あかんのちゃうの?となぜか頭の中で関西弁ひとりごと。よく見ると、外国人旅行者に限り、パスポートのコピーを見せればお酒を買うことができるらしい。なあああんだ心配して損した。簡単ジャン!っと早速ビール(なぜか国内産、ノマナイクセニツクルンカイ!)を二本頼む。ま、これが本音と建前なんだわなあ。
前後するが、空港からホテルに向かう車窓から見るカラチの町は、道路もよく整備されていて町もきれい。人口が1000万人もいる割には貧しい人々の姿が目立たない。車もインドに比べて少なく、こぎれいな車が多いような気がする。おもしろかったのはバス。どのバスもこれでもか、というくらい飾り立てている。日本でもはやったデコトラみたいな感じだ。それと日本車の多かったこと。SUZUKIが一番多いように思ったが、中には「西南カントリークラブ」「あずさの湯」などのロゴが入ったバンもあり、大爆笑してしまった。おそらく日本で廃車になった古い車をタダ同然で輸入して売るという商売が成り立っているのだろう。聞くと日本語のロゴは一種のファッションになっているらしく、ほかにもステッカーを平気で逆さまに貼って走っている車もいた!
それにしてもこの印象の違いはなんだろう??イスラムの教えが徹底していて、規律正しい生活を送っているのだろうか?全く何の予備知識もないまま来た国だけに、興味は尽きない。明日からが楽しみだ。
[左 デコトラならぬデコバス、右 バイクタクシー]
[2001.3.10]
この日は夕方の領事館でのパーティー以外の予定はなく、あまり観光に行く気分でもなかったので部屋でのんびりビールを飲みつつスポーツ観戦。こちらのケーブルTVではESPNというチャンネルがあり四六時中スポーツ番組をやっている。しかしお国柄、一番放送枠の多いのは「クリケット」。我々にはとんとなじみのないスポーツだ。やはり元々イギリス領だったこともあって、生活様式などにもイギリスの面影が多く残っている。
クリケットというのは元々は全部終わるのに五日間くらいかかるという途方もなくのんびりしたスポーツだったらしい。今ではさすがにそんなことはないようだが。それにしてもルールのわからないスポーツほどつまらないものは無い。しばらくしてNBAのバスケットが始まってくれたので良かった!
夕方、ホテルを出て領事館へ向かう。領事館の中ではもちろんお酒も飲み放題。みんなここぞとばかりに飲んでいる。在パ邦人の方が20人くらいだろうか、楽しい会話とおいしい料理の数々に舌鼓をうった。おどろきは伊勢エビの刺身!さすがにすこし湯通しはしているらしいが、こちらにきて生に近い魚を食べたのは初めてだったので感激した。さすが海の近いカラチならではだ。
ここでパーティーの途中でうれしい知らせが。ベースが見つかったとの知らせが入ったのだ!ほっとする金澤氏。それはそうだろう。何百万もする大切な楽器が戻ってきたのだ。何でも、あまりに大きいので係員がそのまま運ばずカーゴの中に入れてしまって、奥深くしまわれてしまったのだと言う。お粗末な話だ...マネージャー田渕氏と金澤氏は速攻で空港へ。でもよかったよかった!
そんな中、日野さんは奥様方に取り囲まれハーレム状態。パーティーは夜12時頃まで盛り上がった。領事館の皆様、ごちそうさまでした!!
[2001.3.11]
コンサート当日。出発は15:30の予定。きょうは地元のロックバンド「JUNOON」とのジョイントの場面がある。このバンドは地元パキスタンでは大スターらしく、日本公演も経験しているらしい。タブラなどの民族音楽の要素を取り入れ、歌詞もかなり風刺のきいたものらしく、ただのロックバンドでは無いようだ。「Indian Ocean」の時もそうだったが、ほんの少しの打ち合わせで全く言語もなにもかも違う同士がひとつになって演奏できるなんて、音楽って本当に素晴らしいと思う。
リハーサルに現れた彼らはとても謙虚で、我々の「It's There」を真剣な表情で聴き雰囲気をつかんでいる。日野さんの簡単な説明で、音合わせをすることもなく本番を迎えることになった。少し心配...彼らも一曲自分たちのレパートリーをやるためリハーサルをやり始める。なかなか不思議なサウンドだ。タブラがかなりスパイスになっていて、オリジナリティーあふれる演奏だった。
19:30演奏スタート。6曲ほど演奏したところで彼らにバトンタッチ。一曲彼らのレパートリーをやったあと、トコさんの名曲「It's There」に突入。僕のソロの後、リーダーのギタリストがソロを取る。かなり熱いソロを取った後、白人ベーシストのソロ、それに続いて若いドラマーのソロ。我がバンドのドラム井上氏によると、このドラマーかなりな才能の持ち主らしい。とてもいいソロを聴かせてくれた。最後にタブラのソロ。さすがのテクニックで観客を魅了した。
場内大興奮のうちに演奏終了。JUNOONのメンバーたちと固い握手をかわす。領事館の方の配慮で楽屋にビールが!!いいのかなあ、と思いつつ楽屋で乾杯。JUNOONのやつらとも乾杯しようと思ったら、次の仕事があるとかでとっとといなくなっていた。う〜〜ん、売れっ子なんだなあ...
部屋にもお酒の差し入れを頂いてご機嫌のタダセイ。明日は最後の公演地イスラマバードに旅立つ。まだ見ぬ土地を夢見つつ、おやすみなさい...
[2001.3.12]
さていよいよ最後の公演地、パキスタンの首都イスラマバードに出発の日。きょうは移動だけなのでのんびりと昼頃まですごし、夕方国内線でイスラマバードへむかう。この国は国内線といえどいちいち手荷物チェックなどかなりうるさい。けっこうタダセイいらいらしながら飛行機に乗り込む。約一時間半ほどでイスラマバードに到着。この首都は、かなり新しい都市でなんと日本人が設計したらしい。現在も都市建設が進行中で、空港から町に向かう道すがら工事中のところが目立った。道は都市計画に基づいてかまっすぐな道が多く気持ちがいい。
こちらはカラチに比べて人口もかなり少なく、数十万人しか住んでないらしい。車も少なめで、町も静かな印象だ。19:00ごろホテル着。ホリデーイン、というホテルなのだが、気のせいか旅が進むにつれてだんだんホテルのグレードが下がってきたような...最初がとてもよかっただけに、このホテルの設備にはちょっとがっかり。カラチではあった「あるこーるびばれっぢ」のメニューも無く、電話で問い合わせても「カラチはそうかもしれないが、我々はイスラム国なのでアルコールはない」とおっしゃる。あああ、いよいよ断酒の日々が来たのか...観念してとりあえず金澤氏、井上氏、石井氏と屋上バーベキューバイキングにでかける。
このバイキングははっきりいってご機嫌でした。日本の屋上ビヤガーデンの趣をそなえつつ、シシカバブなどのバーベキュー料理が目の前でできあがっていく。これで333パキスタンルピー。約666円だ。牛肉などもとってもおいしく、パキスタン名物のピラフ(名前忘れた!)もご機嫌。これでビールが飲めたら最高なのにいいいいい!!!
結局この日はカラチから持ち込んだ数少ないお酒をみんなで部屋飲み。あすに備えて早めに休むことにする。(余談だが、インド・パキスタンの習慣で、トイレで大きい方をした後は左手でナニを拭き、それを洗うための蛇口や瓶が置いてある。こちらの人々は素手でものを食べる習慣があるが、決して左手は使わない。知識では知っていたが、実際自分の部屋にそれがあると不思議な気持ちになるものです。ちなみにタダセイは平気で左手バンバン使っていました。)
[左下に見えるのが壺...]
[2001.3.13]
この日は会場の下見と記者会見のみ。昼過ぎに会場へと向かう。今回のツアーでは、基本的に機材は現地調達。したがって事前にスタッフ同士で打ち合わせはしているものの、行ってみないとどのようなレベルの機材があるかわからない状態なのだ。念のためにエレピも新たに購入して日本から持って行っているし、万全の態勢をしいてたつもりだった。
いざ会場に行ってみると、一応ホールなのだがかなり古い建物。生ピアノもあるにはあるが、全く使い物にならない。基本的にエレピを使うつもりなのだが、悪いことにたまに停電があるという。その時の保険で、一応生ピアノもセットしておくことにする。記者会見といいつつ、実際に演奏してみせることになり、即席のPAを組んで音を出す。やりにくいが、なんとかならないこともない。なんとか演奏をすませ一段落。このあと地元スタッフと日本人スタッフとで共同の作業でPA、照明をやる段取りだったのだが、これがとんでもないことになるとは...
とりあえずミュージシャンはホテルに帰ってあとはオフ。おみやげを買いに出かけることに。日野さんのお目当てはCDやDVD。こちらでは違法なコピー商売が横行しており、ダビングしたCDが200ルピー(400円くらい)で売られていたりする。著作権もへったくれもあったものではない。だが、僕はディズニーのDVDを三枚買った(日野さんはもっとたくさん買っていた!)。後で聞いた話では、ある映画などは映画館でハンディーカメラを回してスクリーンを撮ったものだったりしたらしい(当然、カメラの前を人がうろうろ歩いていたりする!)。ひどい話...
あとの人気はやはり流行のパシュミナ。お店に行くと店員が慣れた口調で次々と品物を出してくる。最高級のものになるとリングスルーといって指輪の中をスルリと抜けたりする(実際にパフォーマンスでやってくれる)ほど柔らかい。こちらの言葉の特徴で、「100%パシュミナ、な!な!」と言っているように聞こえる。実際には現地の言葉なのだが、こんなところでもアジアの血を感じてしまう。
全員結構な量を買い込み、満足して食事に行く。こちらの大使館員の方の案内で、最高級のパキスタン料理店に連れていってもらう。正直に言うと、そろそろパキスタン料理に飽きていたので和食なども期待していたのだが...しかしさすがイスラマバードで最高級のお店だけあって味は最高。特にチキンティッカという鳥のバーベキューなどは絶品。カレーもおいしく満足してホテルに帰る。ここでもお酒があったらなあ、と残念に思う。料理をおいしく食べるためのお酒、というのを日常的に習慣にしている僕としては、この国の規律は耐えられない。人生の楽しみの何分の一かを放棄しているような気が...なあんてね!単に酒飲みなだけなのですが。
そしてホテルに帰って寝るだけのはずが、ちょうど時を同じくして帰ってきたスタッフの顔色が悪い。というか殺気立っている。な、なんだどうした??とりあえず部屋に集まって少ないお酒で部屋飲みすることにした。話を聞くと、どうやら現地スタッフが全く役に立たなかったらしく、機材も「ある」と言っていたものが調達できていなかったりしたようだ。スタッフの中でも温厚な人柄で通っている照明の岩本氏がキレた、というから尋常ではない。「明日は最善を尽くしますが覚悟して置いて下さい。」と言われてしまった。まあ、それはそれでしかたない。我々はただ最高の演奏をやるべく尽力するだけだ。言い訳はしたくないし。気を引き締めて最後のコンサートに臨もうと全員で誓ったのだった。
[左からロンゲ&ビキニ派うえだっち、Mr.温厚いわもっちゃん、タダセイ]
[2001.3.14]
いよいよ最後のコンサート。スタッフは早くから最後のチェックに行ってくれている。若干の不安はあるが、もうここまできたらどうしようもない。それよりも、これが終わったら日本に帰れるという気持ちのほうが強く、うきうきしてくる。
会場に着いてみると、スタッフの努力で何とか音を出せる態勢が整っている。感謝感謝!本当に優秀なスタッフだ。彼らがいてくれるおかげで我々はいい演奏ができるのだ。リハーサルをすませいざ本番。このツアー中に日野さんがインドにインスピレーションを受けて書いた曲などを演奏。最後にタップのおまけが出るなど大熱演。パキスタンの人は最初こそ少しざわついていたものの、演奏が進むにつれてどんどん引きつけられていくのがわかる。拍手もどんどん大きくなり、素晴らしい一体感の中で終演。今回のツアーの最後にふさわしい演奏になった。逆境になればなるほど強いジャズメンの真骨頂をみた。
[2001.3.15]
いよいよ帰国の日。あああようやく水も自由に飲めるし生野菜も平気で食べられるしみそ汁もあるしカレー味じゃない料理もある愛しい愛しい日本に帰れる!!こんなに自分の国が愛しく思えるなら、たまには海外にでるのも悪くない。食卓塩の瓶のふたと一緒で無くなってみて初めてありがたみがわかるのだ。
飛行機は夜10:00の便と遅いので、大使館の招きで昼食会に参加する。ホテルを出発するとき、在イスラマバードの商社マン夫人がお子さま連れで見送りに来て下さり、なんとパキスタンの民族衣装(というより素敵なドレス)のショールの部分にサインが欲しいという。こ、こんなに素敵なお召し物に我々のようなむさ苦しいだけの野郎どものサインなどもったいのうござりまする!と一応お断りしたのだが、是非にということなのでサインさせていただいた。二度と人前では着られないのでは...と心配しております。
午前中ゴルフに行って直行する予定の日野さんをのぞくメンバー全員で車で大使館へ。ところが!いざ大使館の門の前に着くと見慣れた人が「お〜〜い、俺を置いて行くな〜〜〜」と叫びながら追いかけてくる、走って。あれえええ??日野さん、ゴルフのあと直行じゃなかったんですか?何でも一旦ホテルに帰って休んでいざ出かけようと思ったらみんな出た後だったということで、たまたま居合わせた先ほどの商社マン夫人が車で送ってくれたとのこと。よかったよかった!
昼食はデリーの時と同じくうれしい日本食のコース。いやあほんとにおいしかった!和食はやはり王様ですな、諸兄!日本でも滅多に食べられないような高級日本料理を堪能させていただき、大使館を後にする。一旦ホテルに戻り、出発まで自由行動。僕は夜までゆっくり休むことにした。今回の旅の失敗は日本から本を持ってくるのを忘れたこと。これほど日本語の活字に飢えるとは思わなかった。しかたないので井上氏や金澤氏に本を借りて読む。この日も出発までまどろみつつ本を読んで過ごした。よく考えたら、日本でこんな時間を持つことがこのところ皆無に等しいことに気づく。余裕の無い生活にどっぷりはまってしまっているなあ...
午後8:00ごろホテルを出発。サクっと手続きをすませて機上の人となる予定が、またまたチェックインで一悶着。いかにも融通のきかなそうなパキスタン航空(PIA)の職員(あとから出てきたので多分ちょっと偉いさん)が、ウッドベースのケースにいちゃもんをつけ、これは大きすぎて飛行機には乗せられない、カーゴでなければだめだ、などと言い始めたのだ。いままで何の問題もなく載せてきたのに、いったいナニをこいつは言い出したのだろう?自分の権限を見せつけたかったのか??なんだか日本の役人にもいそうなタイプだなあ、と思いつつやりとりをただ見守るしかない僕たち。マネージャーの田渕氏もキレている。小一時間ももめてまだ決着がつきそうにないので、メンバーだけ先に搭乗口へ向かう。
飛行機に乗り込んで、出発まであと五分、くらいの時にようやくスタッフ全員飛行機に乗り込んでくる。なんでもかなりな手数料を取られることで決着したらしい。私はPIAの名前は二度と忘れないだろう?!とにかく何とか日本に向かえることになり一安心。いやはや最後まで何かとごちゃごちゃあったツアーだった。
帰りの飛行機は北京経由で成田へ。合計約9時間ほどのフライトで、行きよりも随分早く着いたような気がした。この旅の収穫は、今まで乗り物で眠ることができなかったタダセイがようやく眠れるようになったこと(単に超疲れていただけ、という噂も)。帰りのフライトも途中何時間か眠れたおかげで随分早く着いた気がした。眠れる人って得だよね!
午後12:00ごろ成田到着。全員でお疲れさま、をして帰途につく。思えばカルカッタを皮切りに長い二週間だった。最初はこのツアーに終わりはくるのだろうか、と弱気になってしまったタダセイだが(特におなかを壊したときは「帰りたい〜〜」病にかかった)こうして終わりを迎えると寂しさがこみあげてくる。見知らぬ土地での二週間、学んだこと、考えさせられることが数多くあったが、最後に言えることは、僕は本当に幸せ者だということ、そして音楽は素晴らしい、ということ。とても単純なことだが、旅の終わりにあたって素直にそういえる。
最後に今回のツアーに関わってお世話をしていただいた全ての方々に厚く御礼を申し上げたい。本当にお疲れさまでした!ありがとうございました。