インド・パキスタンツアー

の思い出

2001.3.2〜16、国際交流基金の招きで、日野晧正QUINTETの一員として

インド・パキスタン公演に行って来ました。

僕にとってはもちろん初めての国々、様々な経験をしてきました。

笑いあり、涙あり、の珍道中、その模様をレポートしてみます。

「インド編」

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「パキスタン編」


[2001.3.2]

 初のインド・パキスタン公演ツアー出発当日、朝6:00起床し最後の準備を始める。今回は直前までclub TOKOのツアーに出ていたりしたので準備が全く遅れてしまいA型人間の僕としては非常にやきもきする日々が続いていた。旅行用品もあれもこれも揃えようと思っていたのにかなわず、「もうシランモンネ、わし」状態。いざとなれば空港で何とかなるか。ただ初の海外モバイルにだけは挑戦しようと思っていたので、海外用モデム・海外アクセスポイントなどの用意は万全(のつもり)。パッキングをすませ、8:10上野発の京成スカイライナーでいざ成田へ。

 この電車って「ラッパで飯が食えるのかよ!」「ラッパじゃねえよ...」っていうCMのだよね。なんか自分が東京に出てくるときのおやじにオーバーラップしてしまい、しばし感傷的になる。電車は定刻どおりに成田に到着。集合時間の10:00にはまだだいぶ時間があるので、しばし空港見物。成田は久しぶりだ。2〜3年ぶりだろうか...その間、パスポートも期限切れになり、今回に合わせて取り直した。今は10年もの(ワインじゃないんだから...)もできているのね。便利な世の中になったものだ。

 洗剤などを購入しているうちに石井彰(P)登場。健闘を誓ってがっちり握手。彼に国際電話の便利で安いかけ方を教えてもらう。KDDのプリペイドカードがあるのを皆さんご存じだろうか?テレフォンカードと違って電話に挿入するのではなく、裏に書いてあるナンバー(くじのようにコインで削ると出てくる)を入力すると「あと何分かけられる」とかアナウンスしてくれる。この方法だと普通にかけるより割安になるらしい。国内でも使えるらしく、遠距離通話になるほどNTTより割安になるそうだ。う〜んひとつおりこうになった僕。さっそく5000円のカードを二枚購入。

 10:00を回ってメンバー・スタッフが揃う。メンバーの他に照明・音響・舞台のスタッフなど総勢10名。当然荷物もドラムセット・ウッドベース、そして今回の土地柄からエレピも持参するらしい。山のような荷物をチェックインして出国手続きへ。以前なら即、免税店でタバコや酒を買い込んでいたが、タバコも吸わなくなったし酒も現地で何とかなるだろう、と素通り。インスタントカメラ・電池などを買ってラウンジで休憩。そして12:00、ほぼ定刻にシンガポール航空SQ997便は離陸、一路シンガポールに向けて出発!!

 飛行機の中でのことを書いてもつまらないので省略するが、ビデオや食事などシンガポール航空のサービスはとても快適だった。少し調子にのって飲み過ぎてしまい酔っぱらってしまった...反省。

 そして乗ること7時間あまり、飛行機はシンガポール空港に到着。日本と当地の時差は一時間。現地時間18:30ごろの到着だ。ここで次のカルカッタ行きまで三時間あまりの待ち時間。ビジネスラウンジで休むことに。ここでクレジットカードが使える公衆電話を発見。何事もトライだ、と思っているタダセイさっそく日本にかけてみる。と、これがめっちゃ簡単&相手の声がめちゃ近い。まるで隣同士で話している感じ(ちょっとおおげさ?)。いやあ、ちょっと知らない間に通信事情はすごい進歩を遂げていたのね。なんか置いてかれてるタダセイ。

 そして待つこと三時間、ようやく次のカルカッタ行きの便の出発時刻となった。こちらもシンガポール航空SQ416便。これでまた四時間近くのフライトをするのだ。待合室のドアを開けるとカレーのにおいがプ〜〜ン(そんなわけないやろ!)。だがそんな気がするくらいいきなりインド人ばかり。ああ、これからインドに行くのだ、という気持ちが盛り上がってくる。ワクワク!!現地時間午後9:00すぎ(日本時間午後10:00)離陸。もう日本を出て十時間も経っているのだなあ...はやくもホームシックなタダセイ。またもや飲んだくれてしばし爆睡。

 そして約四時間後、最初の公演地カルカッタ着。現地時間で午後11:00、日本との時差は三時間半なので日本時間3日の朝2:30ごろの到着。ああ、いよいよ歴史と神秘の国インドに来たのだ!音楽やっていてよかった!普通に暮らしていたら今回のインド・パキスタンという国にはおそらく一生縁がなかっただろう。

 交流基金の招きということで入国審査もフリーパス。まったく何事もなく入国して迎えのバスに乗り込む。途中、夜なのではっきりとは見えないがあまり裕福とはいえないであろう一帯を通過する。おそらく植民地時代に建てられたであろうこわれかけの建物に住んでいる人がいる。牛を引いている子供がいる。町に近づくにつれ道ばたで寝ている人々が増える。これがインドのまさに現実の一部なのだ。いきなりガーンと頭を殴られたようなショックを受ける。生半可な気持ちでこの国に接してはいけない、と気持ちを引き締めなおしたタダセイだった。そして12:00、宿泊先のタージベンガルホテルにチェックイン。このホテルはさすが五つ星らしく、門をくぐった途端に異次元の空間が広がる。まんまヨーロッパの高級ホテルの様相。これもインドなのだ。

 チェックインしてしばらくの間メンバーとビールなど飲みつつ歓談。だがさすがに疲れていて午前2:30ごろ解散。日本はもう朝の6:00だ。丸々24時間起きていたことになる。明日から起こることに胸をときめかせながら就寝。ああ楽しみ!!

[届けられた新聞 読めへん、っちゅうねん! そしてターバンを巻いた「いかにも」ドアボーイ]


[2001.3.3]

 夜中に一度目が覚めたが基本的に熟睡し朝9:00起床。待ち合わせて朝食をとる。バイキング形式だが、中華ありカレー風味ありとバラエティーに富んでいる。出発前からしつこく言い聞かされているのが生水・生野菜を口にするな、ということ。以前メキシコに行ったときにも全く同様の注意を受けた。我々日本人のか弱い胃腸ではとても抗しきれない強い菌がいるらしい。臆病な(我が出身地 讃岐弁では「おとっちゃま」という。幼い頃どれほど父からこの言葉を浴びせられただろう...)タダセイはシャワーの水すら口に入らないようにするわコンタクトレンズを洗うのもミネラルウオーターにするわ...メンバーもかなりナーバスになっていてフレッシュジュースも口にしない。ひ弱な都市生活者としては仕方のないところか。

 

 オナカ一杯になったところで、石井・井上・田渕(日野さんのマネージャー)の三人で少し散歩することに。このホテルのまわりは殺風景なところらしいが、目の前は動物園。ベンガル虎も見てみたいし出かけることにした。一歩外に出て最初に驚いたのがクラクションのうるさいこと!どの車も鳴らしっぱなしなんじゃないか、と思うほどうるさい。しかも交通量の割に信号が圧倒的に少ない。歩道を渡るのも命がけ(これはおおげさでなく)だ。公園のような所を経て動物園に。まわりはなんだか訳の分からないものを売る人たちで一杯。南京豆、帽子、アイスクリーム、ジュースetc...かきわけかきわけ入場券売場にたどり着く。先頭の井上が20ルピーを支払ったので次に払おうとすると係員が「行け」という。僕の後ろの石井も田渕も「行け」と言われている。え???四人で20ルピー??1ルピーが約2.5円だから一人約12.5円だ。なんと!!この物価の安さ、どういうこと?だが金持ち気分を味わったのもつかの間、係員と田渕がもめている。どうやら田渕の持っているデジタルビデオカメラについてなにか言っている。そして奥まった事務所に連れて行かれる僕たち。な、な、なんだ??逮捕か?

 どうやらビデオカメラの持ち込みには料金が課せられるらしい。僕や井上の普通のカメラには何も言わないのでビデオが対象らしい。なにやらものものしい書類にサインさせられる田渕。そして請求された金額を見てびっくり!!なんと250ルピーですよ、ああた!入場料5ルピーの動物園で250ルピーを払わされる理不尽さ。外人だと思ってなめてやがんな。だがインド人のおっさんたちに囲まれている僕たちは何も言えず、おとなしく払ってその場を出る。あきれた田渕は皮肉混じりに係員をビデオで撮りまくる。そして係員曰く「中で金を払えという奴がいたらこの領収書を見せろ」。何じゃと、他にもこんなこと言う奴がぎょうさんおるんかい!!

 気を取り直して動物園見学に。後で聞いたらここはインドでも最大の動物園らしい。そんなこともしらない僕たちは最初に入った爬虫類の館クラスで大騒ぎ。インドコブラ←やニシキヘビなどのオンパレード。気持ち悪いが珍しい。こわいもの見たさ。ワニも見て、さあお目当てのホワイトタイガー行きましょか〜 っておいおいおらへんやんけ!どう目をこらしても虎の島に虎の姿は見えず。お昼休みかい?!なんかこの時点で力が抜けてしまった我々は、ゾウもライオンも見ずしてあえなくギブアップ。早々に動物園を退散したのであった。それにしても高くついたビデオだったね、田渕君!

 一度部屋に戻り、支度して昼食をすませて最初の公演地に向かう。といってもきょうは子供たちのためのチャリティーコンサートを知事公邸の広大な庭でおこなうのだ。会場に到着すると門のところで歓迎を受ける。花で作ったレイと、おでこに例のインド特有の赤い斑点を塗ってくれる。子供たちも続々と集まってきている。聞くところによると各学校で出し物を用意しているらしい。子供は万国共通でかわいい!!出し物が始まっている関係でサウンドチェックもできないが、ぶっつけ本番で行くことに。しかしこの異国のしかも子供たちのためにどんな音楽をやればいいのだろう。自分がバンマスだったら非常に迷う所だが、さすが日野さん、あえてディズニーものなどをやらずに自分たちのレパートリーをやるという。こういう姿勢も大切かもしれない。媚びるのでなく、こちらのベストを尽くす、という姿勢、時には大切だと思う。

 夕方5:00ごろ演奏開始。インドの子供たちにどの程度楽しんでもらえたかはよくわからないが、終わってから子供たちにプレゼントを手渡したり握手したりした感触は最高。どの子もほんとにきれいな瞳をしていた。日本の子供たちがもしかすると忘れかけているものをこの子たちは持っているような気がしてならない。豊かさってなんだろう...と感慨にふけってしまった。子供たちに教えられることは多い、いつの時代も。

 演奏後は領事館でパーティーがあるという。ホテルでシャワーを浴びて少しおしゃれして会場に向かう。途中、カルカッタの繁華街を通過する。すごいにぎわい、そしてすごい渋滞、そして例のクラクションの洪水。人々のパワーを目の当たりにしながら会場到着。領事館の中庭が会場で、とても美しい芝生に白壁の建物がよく映える。続々と在カルカッタ邦人の方々などが到着する。そして開宴。ワインに飢えていたためすぐさま飛びつく。驚いたのが目の前で揚げてくれるエビの天ぷらと焼き鳥。ブラックタイガーはそういえばインドが産地。日本より新鮮な天ぷらをいただいていることになる。いやあ美味でした。白ワインがすすむすすむ...またしても酔っぱらってしまったタダセイでした。

 在カルカッタの邦人の方々は非常に気さくで楽しかった。三菱商事と東京三菱銀行の方にずっと現地の生の情報をうかがった。政治のことからムフフなことまで?!いろいろ勉強になりました。

 夜10時過ぎお開き。明日のコンサートにも大半の方が来てくれるという。がんばらねば!宿舎に帰って明日に備えてバタンキュー、のタダセイでした。

 

[左から三菱商事の方、金澤氏、井上氏、石井氏、タダセイ]


[2001.3.4]

 きょうは夜、普通のコンサートがある。15:30ロビー集合なのでゆっくりと過ごす。きのうもそうだが、朝10:00ごろ朝食ビュッフェを食べ、出かける前に14:00ごろまた昼食、そして演奏後また食事、とけっこう食べまくっている。ホテルの中で食べておかないと外で食べられない、という強迫観念があるのと、食べるくらいしか楽しみがない、という現実もある。きょうも昼は石井とともにホテル内の中華レストランでチャーハン・やきそば・春巻を食す。やっぱりお米を食べるとほっとする。春巻はクレープみたいでいただけなかったけど。

 空いた時間にモバイルに挑戦する。だが、海外ローミングもばっちり申し込んでいざ、となると国内アクセスポイントにつながらない。???やばいぜ。だが何とかメールチェックしたいので強硬手段に。日本のプロバイダに国際電話をかけつなぐのだ。もちろんネットサーフィンなんてもってのほか。最小限のメールのやりとりだけにする。それでもホテルからの電話は手数料を取られるので痛い。ひとりでぶつぶついいながらも何とか成功。いきなり何十通ものメールを受ける。ああよかった。このままメールできないでいたら帰国したときの状況が恐ろしい...

 15:30ロビーに集合して会場に向かう。新しくはないがおそらくカルカッタではかなりいいホールなのだろう。着くとスタッフがすでにセットアップしてくれている。慣れない異国での演奏には普段からのスタッフがいてくれるのが何より心強い。さすがプロ集団、いい仕事しまっせ!僕は今回からワイヤレスマイクを使えることになったので、とっても楽しみだ。もう足元を気にせずに自由に動き回れる。

 19:00開演。お客さんの入りはいまいちだが、ちゃんとソロが終わると拍手もくる(おっとここでミニヒンズー語講座。こちらでは拍手のことを「ハッタリー!」という。きのうのチャリティーのときも司会者が、「Mr. Seiji Tada!ハッタリー!ハッタリー!」と盛んに怒鳴っていた。別に僕がハッタリのソロをやっていたというわけではないようだ。)。後で聞くとインドには演奏を聴いて拍手する習慣が無いらしい。にもかかわらず、この日は最後まで大きな拍手をいただいた。なにかが彼らに伝わったのだろうか。だとすると、これぞ音楽の醍醐味!ですね。音楽は国境を越えた!

 テンションの高い演奏が終わり、ホテルに戻って内輪の送別会をしてくれるという。きょうでカルカッタの夜は最後。領事館の方には本当にお世話になりました。本格的インド料理にインドワインをおいしく頂き、楽しく飲み明かす。あすはデリーに移動。どんな展開が待っているか...

[日野さんとタダセイ]


[2001.3.5]

 いよいよカルカッタからデリーに移動する日。快適だったタージベンガルホテルに12:00別れを告げる。これから市内観光と昼食を経て17:30発のデリー行きの飛行機に乗る。バス(インドに何台かしかない高級バス。どうもみんながこちらを見るな、と思っていたら、なるほどとても珍しいバスだったんだ)からみるカルカッタの町並みはとても雑然としていて秩序がないも同然に見える。クラクションは鳴りっぱなしだし、交差点では信号など関係なく歩行者が渡る、しかも堂々と悠々と。おまわりさんもいるにはいるのだが、雨季のときなどは警官は濡れたくないのでいなくなってしまう、その結果交通の大渋滞を生み出す、というレベルらしい。道路の舗装状況もとても悪く、乗り心地は最悪。あんまり悪いことばかり書きたくないのだが...

[街なかを闊歩する「おうしさま」とぐっちゃぐちゃの交差点]

 

 最初に高級ホテルで昼食。バイキング形式で色々おいしい料理が並ぶ。基本的にインドでは、宗教上の理由から料理はチキンかラムか魚、もしくはベジタリアン用の数種類しかない。タダセイは連日のブロイラー状態で胃腸が疲れ気味。朝食も抜いたくらいなのだが、こうおいしそうな料理が並ぶと食さないわけにはいかない。そして最後に、それまで口にしなかったアイスクリームに手を出す。みんな食べているので大丈夫だろう、とタカをくくっていたのだが、これが後に悲劇を生むとは神のみぞ知る、なのだ。

 ま、それはまた後述するとしておいしくいただき、ホテルに隣接する土産物屋でショッピング。ここは国際交流基金が大のお得意さんとあって、基金の人たちかなり強気に出ている。絶対にまけさせる。店の人たちはみんな日本語が達者で、日本語でのねぎり合戦となる。「これじゃわたしせいかつできないよー」みたいなこと言うんですよ。笑えるね!で、めいめいかなり色々買い込み、出発時間になる。と、店先でなにかもめている。店の人が、観光客目当てに店の前で待ちかまえる物乞いたちを追い払っているのだ。う〜ん、これもインドの現実。交流基金の人によると、インドの上流階級たちは国内の貧困にはまるで無関心らしい。こういうところが一億総中流の日本人と根本的に異なるところだ。

 物乞いたちをかきわけバスに乗り込み、出発。あとは一路空港に向かう。インドで初めての町、カルカッタと別れを告げる。国内便でデリーへ向け出発。二時間くらいの遅れは当たり前、という悪名高きインディアン・エアラインにしては奇跡的にほぼ定刻にテイクオフ。二時間ほどでデリーに到着する。国内便なので手続きもなくスムースにチェックアウト。迎えの車でハイアットリージェンシーホテルに向かう。第一印象はカルカッタより路面が整備され乗り心地もよく、交通量も少な目だと思った。さすが首都だけある。だが、信号待ちした途端に子供たちが車を取り囲み、やれティッシュを買え、窓を拭かせろ、金をよこせとうるさいこと。これはカルカッタ以上のものがあるという印象。だが不思議と子供たちに悲壮感がない。だめだと知るととっととみんなで遊びはじめる。もしかして遊びの一部なのか??

 ハイアットリージェンシーもとても美しいホテルだ。とにかくほぼホテルと会場しか往復しないわけなので、ホテルが快適でないと非常に厳しい。タージベンガルよりやや狭めだが、これから5日間よろしくお願いします!!到着してしばらくして石井たちとレストランで食事をとることにする。じつはこのとき、もう何も欲しくなかったのだが、まあ付き合いだし、と思って無理に食べた。すでにこのとき、悲劇の兆候はあったのだ。今思うと。そして悪夢のデリー二日目が幕を開けるのだ...


[2001.3.6]

 デリー初日は、交流基金事務所での記者会見と、大使表敬および会場になる大使館の下見だけの楽なスケジュール。言ってみればオフだ。だが、朝7:00ごろ目覚めたタダセイ、「???おなか痛いよ???」トイレに駆け込むのであった...食事中の方には申し訳ないのだが、来ましたインド名物「旅行者下痢症」。歩けないとか、トイレに入りっぱなしとかまでは行かないが、刺すような痛みが周期的に襲ってくる。やっば〜 あわてて日本から持参した正露丸と梅干しという古来からある(?!)伝統的対処をしてみる。だが当然10:00の出発までに治るはずもなく、しかたなく痛いおなかを抱えながら出発する。この時点ではまだそれほど深刻にはとらえていなかったのだが...

 その話はさておき、とりあえず交流基金事務所での記者会見に臨む。記者は日本人とインド人が半々くらいらしい。こちらインドのインテリはもちろん英語を自由に使うが、なまりがひどく我々日本人には(日野さんでさえ)理解できない場合が多い。そこでインド英語の通訳(変な話だが)として、日本にも留学した経験もあり日本語も達者な美しい女性、マンジュさんというかたが付いてくれることに。彼女に英語を通訳してもらいつつ記者会見は無事終了。

 そのあと庭でのランチタイムになる。タダセイはもちろんな〜んにも欲しくない(特にカレーはもう見たくもない)。がしかし、交流基金の方が粋な計らいをしてくれた。おにぎりに鳥の唐揚げという正統派の日本のお弁当、というのを作ってくれていたのだ、しかもみそ汁付きで!これは多少おなかこわしてても欲しいでしょ?食べちゃったんだなこれが。だが全部はもちろん食べきれずしかも何か寒気がしてきて熱っぽい感じになってきて、ソファーで横になって休むことに。なんかやばいぞ...

 そして午後二時ごろ大使館に到着。すっごい立派な建物で門も二重になっている。以前行ったメキシコシティーの大使館よりも広くて立派な感じがした。今回のコンサートは例のインド西部地震のためのチャリティー。震源地グジャラート州にはKatch Craftという世界的に有名な伝統工芸があり、今回の地震で多くの職人たちが犠牲になったそうだ。バザーにはそのKatch Craftも多く出品され、タダセイも少しだけチャリティーに貢献した。

 会場となる大使館の庭はとても広い芝生で、ロケーションは最高。今回はアコースティックピアノもある。そして出迎えてくれた平林大使ご夫妻は本当に気さくな方で、偉ぶった感じも全くなくとてもフレンドリーに接して下さった。そこでの話の中でタダセイがおなかを壊していることを日野さんが大使に言ったものだからさあ大変。さっそく医務官を呼びましょう、とお休み中の大使館付き医務官、松木先生をわざわざ呼んで下さったのだ。え?そんな大げさにしなくても...とその時点では思っていたのだが、先生の診察が始まって色々問診されているうちにだんだん心配になってきた。やはり熱もあるようで、便も採るように言われ「明日の夕方には結果が出ますが最悪の場合はアメーバ性赤痢の可能性もあります」と言われたときには目の前が真っ暗になり、「おかあちゃん、先立つ不幸をお許し下さい」とまで思ってしまった。もちろんその場合でも特効薬があるのですぐに治る、とフォローしてくださったが... 多分、病原性大腸菌(O 157ではないですと言って下さったが)による大腸炎でしょうということで、それに効く抗生物質と整腸剤等を処方してくださった。

 下痢にはとにかく絶食が一番、ということで、明日の昼までは何も食べてはいけないことになった。とにかく明日の夜の演奏には間に合わせなければプロの恥だ。ということで、練習している日野さん始めメンバーより一足先にホテルに帰る。さっそく薬を飲んで横になり、このあと15:30から翌朝の8:00ごろまで、爆睡してしまった。人間、寝ようと思えば寝られるものだね。三日分くらい寝たかもしれない。ああ、これで良くなるといいのだが...

P.S 松木先生は後にいただいたメールで医者の守秘義務を守り僕を診察したことは誰にもいいません、とおっしゃってくださったが、ジャズメンはこうしてネタにしてしまうのです。先生、ごめんなさい!!そしてありがとう!!

[大使館 そして美しいKatch Craftのバザー]


[2001.3.7]

 夜中に何度か目が覚めつつ結局朝8:00ごろまで爆睡。途中トイレに駆け込むこと数回。だが朝起きたときには熱っぽさは無くなっていて、おなかだけがまだ少しきりきり痛む感じ。絶食している割には空腹感がない。ということはそれだけダメージが大きかったということか。お昼頃からは少しずつカロリーのあるものを食べてもいいと言われたが、午前中はまだ何も欲しくない感じ。きょうは午後4:00出発なので、ゆっくりして昼過ぎにおなかがすいたらなにか口に入れよう。

 うつらうつら二度寝などしながら12:00をまわったくらいに少しおなかがすいてきた。ルームサービスもいいが少し歩くことになれておかないと今夜のハードな演奏(になることはすでに予測済み)に耐えられないと思い、レストランに出向く。メニューをみると食べられそうなのはトマトスープくらい。スープとパンと紅茶を頼んで食べて見る。スープは少しスパイシーだが胃袋に染み渡っていくのがわかる。物を食べられることのありがたさを実感した。何とかスープだけは全部食べられたので一安心。また少し休んだのち出発時刻になる。ロビーに降りていくと日野さんはじめ全員が心配してくれて、人情のありがたさを実感。ううう(泣いているつもり)...

 大使館に到着すると大使も非常に心配してくれていて、何とか回復した僕の姿をみて安心していただいたようだ。まずは楽器が吹けるかどうか試してみる。管楽器は特に横隔膜などおなかまわりを酷使するので心配だったのだが、問題なく吹ける。よかった〜〜間に合った!何とかプロの面目は保てそうだ。リハーサルをやって19:30の本番開始までしばし休憩。余談だが、調律のおじさんがターバンを巻いていて(おそらくシーク教徒)その不釣り合いさが笑えた。どうせならインド音階に調律してくれればいいのに?!

 そして19:30本番スタート。一曲目「Angelsmiles」が始まった途端、十数人のカメラマンがどど〜っとステージに駆け寄りフラッシュの嵐。一曲目だけ、という制限があるからだろうが、すごい勢いだった。このときの写真が朝日新聞に、映像がNHKニュースに流れたらしい。ご覧になった方、タダセイの映りはどうでしたか??やつれてました?

 自分のソロが終わって舞台袖にいると、日野さんが寄ってきて「Blue Moonだぜ」と上を指さす。はっと息を飲むような美しい満月が夜空に光っていた。なんと空の高いこと!まわりに視界をさえぎるビルもなく、360度パノラマの夜空。ああ、音楽やってて良かった。じゃなきゃ、きょうのこの夜を経験することは絶対できなかったもの。そんなことも考えながら、トータル二時間半におよぶフルコンサートは終わった。お客さんの反応も最高で、特に「川の流れのように」などは奥様方のハートをしっかりつかんだことだろう。

 終わってしばらく休憩して、おそるおそるビールも口にしてみる。なんとか大丈夫そう...そして案内されたダイニングに用意されていた物は、ななんと日本式のカレーライス!!もちろん元大阪全日空ホテルのシェフが作るちゃんとしたものだが、イメージ的にはジャ○カレーとかバー○ントカレーとかいう感じの家庭のカレーライスだ。これがなぜかめちゃめちゃうれしいのだ。カレーの本場に来ていて変な話だが、「美味しんぼ」などでご存じのように日本のカレーというのはそれ自体で独立したジャンルになっている。根本的にインドのカレー料理とは異なる。なかばインド料理に飽き飽きしていた我々にとって一番うれしいもてなしをしていただいたのだ。さすが大使、粋なはからい!回復傾向にあるタダセイも、少しおかわりなどするくらいおいしくいただいた。なにせ日本にいるときは毎日カレーでもいいくらいカレー好きのタダセイ。これが一番の特効薬となって、翌日には完治するのであった!!

P.S 松木先生からの伝言で、やはり病原性大腸菌が検出されたが今飲んでいる抗生物質で効き目があるので五日間飲みきって下さいとのことだった。その後のメールには、ステージでのタダセイの姿を見て回復を確信し、あとは患者であったことも忘れて演奏を楽しませてもらった、とあった。


[2001.3.8]

 きょうは午後、インドのミュージシャンと交流することになっている。おみやげを買いたい、という日野さんのリクエストで、大使夫人と大使館員の伊藤女史のアテンドで午前中市内観光と買い物ツアーにでかけることに。メンバーでは僕と井上がご一緒させていただく。10:30にホテルを出てまず紅茶の専門店に行く。連れて行かれたのは狭くてあまりきれいとはいえないお店。だが店主がとても穏和ないいおじさんで、大使夫人は超お得意さまらしくとても細やかに紅茶について説明してくれて、値段も考えられないくらいお安くしてくれた。同じダージリンにもVintageや1st frushとか2nd frushとか色々あって、それぞれアロマも味も違うらしい。よくわからないが一番良さそうな物を大使夫人に選んでいただいて、おみやげ用・自宅用と色々買い込んだ。日野さんは山のように買い込んでいるが、会計の段になって「えっっ?こんな安いの?うそみたいだ!!」と驚くことしきり。「ただみたいなもんだなあ〜」とご満悦。

 次に連れて行っていただいたのはいわゆるデパート。もちろん日本のように大きな物でなく、かなりミニチュア版だが、だいたいおみやげはなんでも揃っている。しかもとてもきれいな店内で、安心して買い物ができる。ここでも夫人は顔パス。最初から50%オフの大盤振る舞い!これは買わないわけにはいかない。白檀のガネーシア(象の神様)やシルバーのブレスなどを買う。

 そして昼食。デリーの高級ホテル「オベロイグランド」でビュッフェをいただく。ここで久しぶりにローストビーフや寿司を食べた。時間はそろそろスタジオに行く約束の時間。日野さん曰く「デリー時間でいこうよ」。だんだんインドのペースにはまってきた。時間がゆったり流れているのだ。日頃時間に追われているタダセイも色々考えさせられた。もっと心の余裕をもって生活してもいいんじゃないか...

 予定の時間に送れること30分あまり。石井と金澤さんはすでに到着している。最初の交流はインドのポップス?グループ「Indian Ocean」と。彼らの練習スタジオ(といっても築90年のきたない普通の家)でセッションを始める。最初は半信半疑に彼らの演奏を聴いていた我々だが、そのクオリティーに感激、日野さんがラッパを持ったのを皮切りに、各自ソロで乱入し始める。このグループはCDも何枚も出している。タブラ・ギター・ベース・ドラムという編成で、なんというかフュージョンでもないしフリーでもないしポップスでもない、不思議なジャンルの音楽をやる。7/4拍子や11/8拍子などもふんだんにあるがいとも簡単に演奏している。げげっThe MOSTも真っ青??

 タダセイもサックスやパーカッションで彼らと対話する。盛り上がって気が付くと一時間くらいたっていた。さっきまで会ったこともない外国人と、言葉は片言でもあっというまにコミュニケートできるなんて、ほんとに音楽って偉大だね。一番幸せを感じる瞬間だ。金澤さんは、ベースの弦が手に入りにくいと聞くや住所を聞き出し必ず送ると約束している。やさしい人なんだなあ。同じミュージシャンに何とか少しでも力になってあげたい、という気持ちからなのだろう。おいしいチャイまでごちそうになり、再会を約束して別れる。

[セッションの風景と全員で記念撮影 近所の子供たち]

 次に訪れるのは音楽学校らしい。タブラ・シタールなどインドの伝統音楽を学ぶところだ。インド舞踊のクラスを最初に見学し、次に見たのがタブラの教室。じつは石井がカルカッタでタブラを購入していて、さっそく車座に加わって一緒に叩こうとする。が、先生の手元があまりに動きが早くてまるでついていけない。すごかったよ、この先生。日本人の男の子も生徒にいた。そして次に笛の教室。これはタダセイとPA菊池さん(プロのサックス・フルート奏者でもある)の出番でしょ。生徒に加わり即席講座を受ける。音はフルートと原理が一緒なので、学生よりもいい音は出せていたと思うのだが、問題は指。右手の薬指だけ異常に離れていて、どうしてもこれがうまくふさがらない。スケールの関係でこうならざるを得ないんだろうが...菊池さんも同じように苦労している。やはり何事も一筋縄ではいかないのだ!

 なんちゃって笛講座の次はシタールの教室。ここにも美しい日本女性がいた。結構日本人も来ているんだなあ。彼女の演奏を一曲聴かせてもらった後、先生の模範演奏。タブラ奏者と二人での15分くらいのコンサートだったが、..........すごい!!もう開いた口がふさがらない状態。こんなに間近にこんなに素晴らしい演奏をタダで(しかもビデオまで録った!)聞かせてもらっていいのだろうか??インド音楽の神髄を見せてもらって拍手の嵐。いやあ来て良かった。これも素晴らしい交流だよね。

[なんちゃって笛口座のタダセイとシタールの達人]

 堪能した後、一旦ホテルに戻って着替え、大使館主催の夕食会へ。今夜はカレーではなく日本食のコース料理だという。おなかが完治しててよかったあ〜〜ひとりお粥じゃ寂しいもんね。20:00ごろ大使館に到着。昼間の礼を夫人に述べ、食事をいただく。メニューは、刺身こそないものの正統派の和食のオンパレード。日本酒も出て、日野さんのジョークもさえ渡り(?!)楽しい数時間をすごす。きょうはインド最後の夜。思えばいろいろあったなあ...なかなか時間がたたないと思っていたがきょうでちょうど行程の半分を消化したことになる。インドという国は本当に多面性のある国で、宗教的な違い、貧富の差、などなどとても興味深かった。決してきれいなイメージはないが、人のパワーと言う点では底知れない物があるな、と思った。今後この国がより発展するかどうか、そのパワーをどう使うのか、見守っていきたいと思う。一度訪れたことでもう決して無関心ではいられなくなったインド、また来てみたいな...

[to be continued...]


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